2011年の3月11日という日は、私の人生において、決して忘れられない日となりました。

私の故郷を一飲みにした津波。。。

父から地震の時に怖いのは津波だ、と口を酸っぱくして言われていましたが・・・海の怖さと自然の驚異、人間の無力さをまざまざと見せられて思いでした。

私の父位の世代の人間、昭和25年より前に生まれた東北人は、先般の東日本大震災で、自分の故郷が津波で飲み込まれるのを見るのが2回目になります。

チリ地震の際、父は自分の街を津波にのみこまれるのを目の当たりにしていました。

チリ地震の時は津波が到達したのが夜中で、夜が明けるにつれ、街の惨状が露わになってきて、父は子供心に夢と現実に区別がつかなかったそうです。

また、もう亡くなっていますが、父方の祖父母もやはり生前2回、自分の街が津波で流されるのを目の当たりにしていました。

チリ地震、そして昭和三陸地震。。。

もしかすると、今回が3回目というご長寿の方も少なからずいらしたのでは、と思います。

東北、特に三陸に住むという事は、もしかすると津波が来るかもしれないという事を覚悟して住まなければいけないのかもしれません。

それ故、地震の時に真に怖いのは津波という事を、親から子、子から孫へと伝えてきました。

「津波てんでんこ」

大きな地震の後には必ず津波が来る、一目散に高台に避難しろ!!という教えです。

私も父から口を酸っぱくして言われていました。

高校を卒業後、大学入学と共に上京し、以降はずっと関東に暮らしている私ですが、この教えは私自身も若い世代に伝えていかねばならないと思っています。

震災直後、宮城県庁に勤める友人は、県庁の診断とし、復旧まで3年、復興まで10年と話していました。

昨年、たまたま当時の野田総理の国会での質疑を聞いていたら、「復旧まで5年、復興まで10年」とお答えになっていました。

復旧の足かせになっている瓦礫。

瓦礫処理の協力を他県に要請した際、放射性物質の影響が怖いから受け入れを拒否、自分の所で処理すべきだ!!と回答した自治体、あるいは受け入れ拒否すべしという住民運動がある事を知った時には、冷水を浴びせられた思いでした。

瓦礫処理を地元でやれば、雇用も生まれるとの事ですが、もっと深く考えてほしく思います。

瓦礫処理は原状回復処理であり、何ら生産性がないのです。

例えば、自治体が穴を掘って、そしてその穴を埋める事業をするから、穴を掘る人と穴を埋める人を募集という事業を行ったら・・・確実に税金の無駄遣いと批判されるでしょう。

穴を掘って埋めるだけの作業には、なんの生産性もないのですから。

瓦礫処理も同じであり、今は穴ができてしまった状態であり、一日も早く原状回復処理、被災地では復旧させる必要があるのです。

瓦礫処理の為に一時的な雇用が生まれたとしても、それが終わればお役目ごめんでは、元の木阿弥。

被災地で長い雇用を生み出すためにも、一日も早く瓦礫処理を遂げる必要があるのです。

2年前の震災では、本当にたくさんの方が亡くなられました。

無念にも亡くなられた方々の死を絶対に無駄にしないためにも、一日も早く、復旧させ、復興を目指さなければなりません。

幸いにも私たちの先達は、ある一定の周期で襲ってくる津波の後も必ず復興させてきました。

私も自分に出来る事をしっかり考え、行動し、震災直後の宮城県庁の診断のように、まず「復旧まで3年」が実現出来る事よう頑張りたいです。

亡くなられた方々のご冥福を、心から祈りつつ