さて、今回「兵庫・ブロガー100人戦国トリップ」の旅ブロガーとして神戸へやって来たもののふ庵。

今回は無条件に好き勝手に旅行してよいわけではなく、いくばくかの密命を帯びての旅でした。

大きな所で言うと、もののふ庵の担当地域は神戸(実は赤穂浪士が大好きなもののふ庵は、赤穂城を中心に、赤穂浪士の足跡を追いたく、播州を希望していました。。。)

そして、これが一番大切な勅命かもしれませんが、「城」を訪問するという事。

当初、兵庫のお城といえば、姫路城と赤穂城しか知らなかった無知なもののふ庵・・・なんと!兵庫県はお城王国で、その数県内に1000は有るとか無いとか・・・。

いやはや、おったまげました。

そんなお城王国の兵庫のお城を廻り、レポートする事を厳命されての神戸ツアー。

この他、出発直前に矢文で「神戸の地元球団のオリックスバッファローズのファンの前で、”東北楽天イーグルス優勝イェ~イ!”と叫ぶべからず!!」という指令も来たような記憶が・・・。

冗談はさておき、お城です。

今回、もののふ庵が神戸滞在初日に訪れたお城は「花隈城」

花隈城は、永禄10年(1567年)、織田信長の命で築城されたそうです。

そんなこんなで花隈城にやって来たもののふ庵。

もののふ庵を出迎えてくれたのは、花隈城跡の石垣でした。

花隈城跡

自転車(レンタサイクル)で神戸市内を廻って花隈城にやって来たもののふ庵、かなり遠くから、「あ、あの石垣が花隈城だな!」と気がついていました。

花隈城跡

花隈城跡

今回、お城に関してあえて事前に予習をしてこなかったもののふ庵、何の先入観も持たずに、誰がどのような経緯で、何を目的に築城されたかも知らずに花隈城を訪れたのですが、城跡を見て、非常に不思議な気持ちで一杯になりました。

花隈城跡

というのは・・・「えっ?何故ここにお城を建てた??」という気持ちになったのです。。。

何気に戦国マニアのもののふ庵、小学生の頃はお城のプラモデルを作ったり、お城(天守閣)を見に行くのが大好きでした。

因みに、天守閣の無いお城は当時のもののふ庵にとって、お城では有りませんでした。。。

小学生のもののふ庵にとって、お城とは天守閣であり、白く美しく聳え立つ白亜の天守閣こそがお城でした。

ですが、今は大きく考えが変わっています。

もし、もしですがもののふ庵がお城を築くとしたら、山城を築きます。

小高い見晴らしの良い山の上に、天守閣の無い山城、これこそがもののふ庵の考える理想的なお城です。(あくまでもののふ庵の考えでござる。)

一例を挙げると、伊達政宗が青葉山のてっぺんに築いた仙台城はまさに自然の要塞で、ビスカイノをして「日本の最も勝れ、又最も堅固なるものの一つ」と言わしめるほど、同時代に比類ない堅城でした。

この花隈城、お城から三宮駅の方を見ると、背中のほうに小高い山があるんです。。。

おそらくですが、その山の上に行けば、花隈城の中は丸見え、下手したら、城中の兵がどのような動きをしているかは丸見えでしょうし・・・個人的には、えぇぇぇぇぇ・・・何故ここに??と思ってしまいました。。。

平城の場合、例えば松本城の様に、周囲から見下ろされる事が無い所に城を護るべく堀を巡らせ、そして天守閣を作り、遠くまで見渡せるようにするのが「教科書 The 築城」の基本だと思っていたのですが。。。

あるいは、当時山の上にお城があり、そこを攻めるために花隈城を作ったのかなぁ・・・などと思ったりもしながら、現在は花隈公園となっている花隈城跡を見学しました。。。

花隈城跡

花隈城跡の石垣は大変に立派でしたが、残念ながらその上は完全な公園、憩いの場となっており、かつての戦国の世の城跡の面影はほとんど見ることができませんでした。。。

花隈城跡

公園内にある天主台。

一応、現在残っているところの一番高いところにも登ってみましたが、やはり背中の小高い丘は目の上のたんこぶ、何故ここにお城を作ったのだろう・・・この地であるなら、お城の守りのための堀も必要だろうし・・・後ろの小高い丘の上なら、護るに易しいだろうに。。。

築城主は、毎日坂道登ってお城に通勤するのが億劫だったから、平らな所に建てたのかしら??等々、自分の乏しい知識で色々考えてしまいました。

多分ですが、テレビゲームの「信長の野望」とかで花隈城があったら・・・防御力は限りなく低いだろうなぁ・・・なんて、実はすごい堅固なお城だったりして。。。

花隈城跡

たくましい想像力で、城ブロガーっぷりを存分に発揮してしまいました。

え~・・・ここに書きました事は、根拠の無い考えであり、もののふ庵の狭い了見と乏しい知識を下に書いた事なので、自信と責任を持ってまったく信用できない説であるという事を最後に記して起きます。


大きな地図で見る