KANO 1931海の向こうの甲子園を見てきました!

前評判通りの、本当に本当に素晴らしい映画でした。

残心

KANO 1931海の向こうの甲子園

私の座右の銘、好きな言葉に「残心」が有ります。

「残心」は、武道および芸道において用いられる言葉なのですが、「残心」の意味は、いくつか有ります。

その一つに、この様な意味が有ります。

相手のある場合において卑怯でない、驕らない、高ぶらない事や試合う(しあう)相手がある事に感謝する。どんな相手でも相手があって初めて技術の向上が出来ることや相手から自身が学べたり初心に帰る事など、相互扶助であるという認識を常に忘れない心の緊張でもある。「残心」とは、相手を尊重し思いやる事でもある。

野球は一人では出来ません。

では、9人そろえば出来るか・・・9人いても、野球は出来ません。

当たり前ですが、野球をするには対戦相手が必要なのです。

「KANO 1931海の向こうの 甲子園」では、野球は1人では出来ないんだという事、そして、対戦相手がいないと、野球は出来ないんだという、当たり前の事なのですが、そんな事も教わった気がします。(ネタばれはあまりしたくないので、是非!見て共感して下さいませ!先般のWBCを彷彿させる様な、尊敬できる好敵手こそが、切磋琢磨し合える、己を高めてくれる相手であるという事を実感できます!)

そして残心

「KANO 1931海の向こうの甲子園」

芸道における「残心」には、以下の様な意味もあります。

井伊直弼は茶湯一会集において、客が退出した途端に大声で話し始めたり、扉をばたばたと閉めたり、急いで中に戻ってさっさと片付け始めたりすべきではないと諭している。主客は帰っていく客が見えなくなるまで、その客が見えない場合でも、ずっと見送る。その後、主客は一人静かに茶室に戻って茶をたて、今日と同じ出会いは二度と起こらない(一期一会)ことを噛みしめる。この作法が主客の名残惜しさの表現、余情残心であると述べている。

端的にいえば、感謝の気持ちに繋がるのですが、「KANO 1931海の向こうの甲子園」の中で感動したシーンに、台湾地区予選・全島大会で優勝するシーンが有ります。

台湾地区予選・全島大会まで、一勝もした事が無かった嘉農(嘉義農林学校)が旋風を巻き起こし、優勝するのですが、その直後、監督の元に駆け寄り、全員であたまを下げます。

野球を教えてくれた監督の元に駆け寄り、全員泣きながら礼をするシーンは、勝利の涙の素晴らしさ、勝って泣く喜びに溢れていました。

因みに、映画館内はこのシーン、すすり泣きの音が会場中でしていました。(私も涙していました。)

KANO 1931海の向こうの甲子園の1シーン

改めて残心

「KANO 1931海の向こうの甲子園」のパンフレット

「KANO 1931海の向こうの甲子園」は、実は野球一本の映画ではなく、台湾と日本の歴史も絡めた作品となっていました。

少し驚いたのですが、八田與一氏も登場していました。

日本統治時代の台湾で、農業水利事業に大きな貢献をした人物として知られる八田與一氏ですが、「KANO 1931海の向こうの甲子園」を野球の映画として作るのであれば、八田與一氏を登場させる必要はなかったはずで、あくまで私の感想ですが、ここには台湾の皆さんからの温かいメッセージが籠っていた様に思います。

以前、「やっぱり台湾が好き」にも少し綴りましたが、私の友人の台湾人の女の子に「東日本大震災の時の台湾の皆さんからの支援に、私たちはとても感動した。心から感謝している。」と話した時、「困っている人を助けるの当たり前、お礼を言う必要は無いわよ」といった彼女ですが、その後、私たちの感謝の気持ちを熱く語る私に、「台湾の基礎を築いてくれたのは日本なのよ。道路も学校も水路も病院も、全部日本が整えてくれたのよ。」と静かに言ってくれました。

そこには、私たちの先達に対する深い感謝が垣間見れ、日本人として少し嬉しくなったのですが、「KANO 1931海の向こうの甲子園」の八田與一氏を見て、改めて台湾の皆さんの気持ちを感じる事が出来、そして、今でもその事を忘れずに感謝してくれている事に、感動を覚えました。

そして、八田與一氏のみならず、「KANO 1931海の向こうの甲子園」の主人公、近藤兵太郎監督の様な方もいたんだ・・・という事にも、誇りを感じました。

映画の最後に、嘉農の選手たちのその後が紹介されるのですが、近藤兵太郎監督の指導を受けた選手たちのその後の活躍を見て、近藤兵太郎監督の捲いた種が色々なところで花を咲かせた事、そして、私たちが知らないだけで、八田與一氏や近藤兵太郎監督の様に、台湾でタンポポの様に様々な種を捲き、それを咲かせた人はもっともっといるのだろう!と本当に嬉しくなってしまいました。

余談ながら、東日本大震災の時の支援の感謝を台湾の方に言うと、必ずと言っていいほど「1999年の9・21台湾中部大震災の時、真っ先に台湾に救助隊を派遣してくれたのは日本ですよ。私たちは日本が台湾にしてくれた事をしただけです。」という答えを下さいました。

その中の一人、誼を結ばせて頂いている我が心の友、李久惟氏も、この映画の製作に関わったのかしら?

上の動画の6:50秒過ぎ位から登場している李久惟氏、李久惟氏に関しては、こちらも⇒「本当は語学が得意な日本人」李久惟著のススメ

蛇足ですが・・・「KANO 1931海の向こうの甲子園」のパンフレットの中で、投手役を演じた方の日本の観客へのメッセージに「WBCがあって、台湾の野球に興味を持った方も多いと思います。」という一文が有りました。

WBCを通じ、私たちが台湾の皆さんに感謝している事が万分の一でも伝わっていたならば、こんなに嬉しい事はありません。

KANO 1931海の向こうの 甲子園のパンフレット

そして、個人的な希望ですが、甲子園大会に、台湾枠が有っても良いのでは?と思うんですよね。

「KANO 1931海の向こうの甲子園」を見て、その思いは更に強くなりました。

かつて準優勝したという前例・実績はある訳ですし、前述の通り、野球は9人では出来ないのです。

対戦相手、切磋琢磨する相手が有ってこそ、強くなれるのですから。(因みに、「KANO 1931海の向こうの甲子園」を見るまで知らなかったのですが、嘉農は近藤監督に率いられ、通算4度、甲子園に出場しているそうです。)

勿論、台湾の高校チームが甲子園に出場するとなったら、移動費や滞在費等、現実的な問題点は様々あり、困難を伴うのは確かでしょう。

ですが、個人的には、甲子園大会に台湾のチームにも参加して貰えたら、お互いの為、そして何より、日台友好の為になるのでは、と強く思います。

夏の甲子園は・・・頓珍漢な朝日新聞主催ですから・・・春の選抜を主催している毎日新聞さん!選抜高校野球で台湾枠、どうでしょう?

我が故郷、東北高校や仙台育英と台湾チームで甲子園決勝を争うとなったら・・・うれし泣きしながら、応援しますぞ!

2020年東京オリンピック

日本では、2020年の東京オリンピック開催が決定しました。

2020年までに、我が故郷は復興出来ているか・・・震災直後「復旧まで3年、復興まで10年」と試算していた宮城県庁ですが、民主党政権時、野田総理(当時)は「復旧まで5年、復興まで10年」と仰っていました。

帰郷すると、今でも震災の爪後を感じてしまう我が故郷・・・個人的には、一日も早い復旧、復興が進み、2020年が復興元年となっている事を願っています。

そして、この東京オリンピックの際、台湾チームが「台湾」として出場出来る事を強く願っています。

台湾は、国際大会に出場する時、「台湾」ではなく、「チャイニーズタイペイ」として出場しています。

先般のWBCでも、台湾はチャイニーズタイペイとして出場していました。

私たちは、例えばオリンピック等で日本人がメダルを取り、日の丸が掲揚される時、日の丸が掲げられる事に感動と誇らしさを感じますが、現状では、台湾の皆さんは自国の国旗を揚げられないのです。

スポーツのみならず、通常のテレビ番組でも、台湾国旗を写すだけで問題となる事が有るそうで、例えば、テレビ番組の日本に住む外国人へのアンケートでも、台湾の方の時には台湾の国旗ではなく、チャイニーズタイペイオリンピック委員会旗になっていたり、ひどい時は国旗の部分が空欄、あるいは黒く塗りつぶされていたり・・・。

例えばですが、今後、チューゴクの領海侵犯がエスカレートし、遂には本土まで入ってこられて、チューゴク日本省とかにされてしまい、オリンピックも「チャイニーズジャパン」とかで出場しなければいけなくなったら・・・どれほど悔しい思いをする事か・・・そんな事を望む人がいるか・・・。

メジャーリーグのボルチモア・オリオールズのバック・ショーウォルター監督も「チャイニーズタイペイ?台湾と呼べよ。WBCでベスト8に進んだのは台湾。今後、国際大会ではユニフォームに『Taiwan』と書けばいいんだ」と語っていますが、台湾の皆さんだって、オリンピックに「チャイニーズタイペイ」として出場したいと思っているはずなど絶対に無い訳ですから。

東日本大震災の1か月後の2011年4月11日、日本政府は、東日本大震災への支援を感謝する菅直人首相(当時)のメッセージ広告を韓国、アメリカ、中国、イギリス、ロシア、フランスの6か国の7紙に掲載しましたが、世界最大の義捐金支援を行った台湾に対しては、当地の新聞への感謝広告は行われませんでした。

この、非礼にも比例で復活ばかりしている菅直人の考えられない恩知らずな行為に対し、台湾は「親戚にはお礼を言わないモノだ」と一言も非難しませんでした。

因みに、日本政府が台湾に対してお礼を述べたのは野田政権になってから、震災から半年以上後、9月に入ってからなのです。

本当に今思い返しても恥ずかしい限りの非礼、恩知らずな行動だと思っています。

「親戚にはお礼を言わないモノだ」と言って、日本を慮ってくれた台湾の皆さんの恩に答えるには、私たち、台湾の親戚である日本が、「台湾は台湾」という、当たり前の事を声にしていく事が大事なのではないでしょうか?

安倍総理大臣が「台湾は大切な友達」と明言しましたが、出来る範囲で、当然の事を強く慮っていく事こそが、台湾の皆さんへの小さな恩返しになるのでは、と思います。

「KANO 1931海の向こうの甲子園」の最後のセリフは、とても印象的でした。

「監督、台湾の皆は、甲子園の準優勝を喜んでくれてますかね?それとも、甲子園で優勝できなかった事でガッカリしてますかね?」(うる覚えなので、多少違う可能性があります。)

それに対する近藤監督の答えは、是非、映画で実際に見て下さい。

そして、「2020年の東京オリンピック、台湾は台湾として出場できますかね?」と問われたならば、「台湾として出場できる事を日本中、世界中で願って応援しています!」と答えたいと思います。

台湾「台湾は中国ではない」

野球が好きな人が見たら、もっと野球が好きになるであろう映画、台湾が好きな人が見たら、もっと台湾が好きになるであろう、そして、日台の絆が深まるきっかけとなるであろう素晴らしい映画を作ってくれた台湾に感謝しつつ

謝謝台湾!日台永遠友好!!